喜多見柚を想う
喜多見柚のことが好きでした。
でも最近は、公式の柚になんか拭いきれない違和感みたいなのがへばりついていて、前のような胸が締め付けられるほどの強烈な感情を抱くことは少なくなりました。(ちょっとはある)
何が境目か。それはたぶんボイスがついたことでしょう。
でもボイスは最後の決定打のようなもので、個人的には[ひらめきアンサー]の時点で「ん?」ってなっていましたし、デレステで綴られている思い出エピソードにも違和感は覚えていました。でも、モバの[桃園花娘]でエンディングを迎えた喜多見柚のストーリーを考えると、いずれこうなることは必然だったようにも思えてきます。
ごちゃごちゃになった頭と心を整理するために、そのためだけに書き残します。理解も共感もいりません。噛み付くのはやめてね。
僕が喜多見柚のどこを強烈に愛おしく思っていたかというと、それは人間っぽさです。
これだとふわふわしすぎなのでもうちょっと詳らかにすると、
「楽しそう・面白そうを優先するわりに、失敗することにまず目が向いてしまい、でもいざとなると悩むのも面倒になってとにかくGOできる」ところとか、
「自己というものが不確かで、普段は”周囲から求められてそうな自分”を振る舞う。それを自覚しているから、信頼できる人に特別な日のほんの一瞬だけ、飾らない装わない自分を見せたくなる」ところ、
「”本気”や”全力”はまぶしくて価値がある。自分はそこへは行けない。でもそんな自分にも、こうして見つけ出してもらえたからには、何かがあるんだと思う。アイドルをやって、それが見つかればラッキー」とか…
「自分には突出した才能もないというどうしようもない諦めのなかで、だけど諦めずにもがく…のは体力使うししんどいから、理想と現実のちょうどいいところを見つけようと、フラリフラリ歩き続ける」
「いつでもアイドルをやめるなんてことは、やめられるけど、応援してくれた人に申し訳ないという気持ちが勝って、実際にはやらないでしょう」とかとかとか、
そんなところに人間っぽさを感じて、それがどうしようもなく愛おしかったんです。
「面白そうだ、と思っても…その行いが誰かを傷つけてしまわないか不安になる。本気が持つエネルギーは知ってるから、こわい」…
挙げればキリがありません。僕が感じていた柚の微妙でふわふわした魅力は、なかなかカッチリとはまとめられないんですよね。実はよくわかってないから。
ともかくそれらはすべてが、僕が想像のなかで膨らまして、どんどんセンチにして、透明な青春を授けてあこがれた喜多見柚なわけです。
言い換えれば、まとまってしまうとアウトな存在…だったのだと思います。
そしてその喜多見柚は、ボイスがついたことで決定的に消え失せてしまった…ように感じました。
ボイスがついた柚はなんというか、「わかりやすすぎる」んです。
愉快を求めて跳ねまわり、下手をこいては舌を出す。いつも元気で楽しそうで、周りを笑顔に変えてくれる、ぬるい太陽のような存在。でもいつも元気ってわけじゃなくて、転がってリラックスして、朗々と想い出を語る柚は安らぎのなかにあって、この微睡みに溶けられたらしあわせだろうなと思う。
それは声優さんの演技というよりは、テキストからにじみ出る性格がそうなっているような感じでした。言うなれば公式の世界に、「これからの喜多見柚はみんなこうです」と宣言されたような衝撃でした。
でも個人的には武田さんが柚の声優になってくれたのはすごいよかったしピッタリだと思ってるんですよね。決定的に「この人で良かった」って思ったのは6thのステージパフォーマンスで、あの「少しぎこちなくても、うまくはできなくても、内から湧き出る“楽しい”に身をまかせよう!」という様子は本当に柚がステージに立つとしたらこうだろうなっていう感じで最高でした…。
…「これからの喜多見柚」は、みんな「こう」。というのは、ことばにできない複雑さや微妙さが織り成す人間っぽさではなく、広く理解され受け入れられるキャラクター性が、クローズアップされて前面に出されていく、ということだと思います。
それは少女からアイドルになるということ。
僕にとっては、ボイスがついてからの柚は「アイドルをやっている少女」ではなく「アイドル」になってしまったように感じるのです。
こうしてみると、自分が「P」というプレイヤーによるロールプレイングに対して居場所が見出せなくなっていったのも、あぁそうかと思います。僕は柚のことを、アイドルだとは思ってなかったのかもしれません。だから「P」という立場になれなかったのかも。ただ「彼氏面」って言われるのはクソ腹立ちますね。図星とかじゃなく、そうやってよくわかんないものに安易に名前つけてマウント取ろうとしてるように見えるその姿勢に腹が立つ。
…たぶん、想像でしかないんですけど、「P」と名乗ることに抵抗がない方々は、
喜多見柚のことをちゃんとアイドルとして見ていて、「楽しいこと、面白いこと」を求めてアイドルになった柚に、もっとたくさんの楽しいをあげたいって、素直にそう思える方々なんだと思います。
だから「アイドル」としてステージがどんどん増えてくことはとても歓迎できることだろうし、そこを目指していたのだから、いまはとても楽しいのだろうな、と思います。想像ですけども。
というわけで、僕は「P」ではないので、柚が「少女」から「アイドル」になってしまったことは、かなり大きな喪失として認識されてしまいました。少女の柚は死んだのです。
はぁ……。
これから柚はデレステにもすごい出るでしょう。出られるようになったのだから。「恋が咲く季節」聴きました? 「手を繋いで歩きたい」のところのちょっと無理したっていうか音程優先にしようとしてぎこちなくなった歌い方ね、好き、、、、
まだイベントストーリーはそんな見られてないんですけど、これからの柚は、
どんどんわかりやすくなっていくように思います。
どんどんことばにできる魅力が増えていくと思います。かわいくて、明るくて、楽しそうで、でもちょいちょい失敗して…。
そういう、強力なキャラクターになっていくと思います。
僕が勝手に愛おしく思っていた、複雑で微妙な人間っぽさは、どこか見えないところに遠く押し込められて、いずれ忘れ去られていくのだろうと考えると、美しすぎて悲しくなります。
でも「少女」から「アイドル」にって書くと、これってほとんどそのまま柚のストーリーじゃないかなとも思うんです。冒頭で書いた、こうなることは必然かもしれないと思うってところにつながるんですけど、
今の柚がアイドルになってからを振り返る時に「ラッキー」から「ハッピー」へとことばが変遷したじゃないですか。あれって「奇蹟でアイドルになった少女」から「自ら楽しみを見つけ続けるアイドル」になったっていう、
なんというか主体性を得る成長の物語としてひとつの因果を持ってる…ような気もするんですよね。
「なぜアイドルになれたか?」「見つけ出してもらえたから」「じゃあ、なぜ見つけ出してもらえたのか?」「…」「女の子なんて、星の数ほどいるのに」
[イノセントカジュアル]の時点で、自分がなぜPに選ばれたかを柚はおぼろげながら理解するんですけど、その次の[フード☆メイド]も含めてしばらく“失敗”を念頭に置いたセリフが用意され続けるんです。僕はこれを、柚はアイドルの世界に踏み入れてちょっとビビってるのかなって解釈してて、それも好きなんですよね。
で、そこからフリルドスクエアの結成のストーリーが始まって、ロワイヤルスクエアでフリスク編が終わります。なんというか、仲間がいるって素晴らしいよねみたいな王道ストーリーです。大好きです。
次の[ホップステップサマー]…はちょっと意味わかんないです。この仕事ストーリーに影響あるのかな…でもフリスクを離れて仕事をしているエピソードは挟む必要があると思うので、たぶんそういうことでいいと思います。
[桃園花娘]はもうすごい好き…。このブログの冒頭でもちょっと語ったように、僕はこのエピソードが柚のエンディングだと思ってるんです。まず、特訓前が一人なのいいんですよね。あの台詞全部ひとり言ですよ。喋る喋る。
そう、一人っていうのが、このエピソードが柚のエンディングだと思う一番大きな要因なんです。一番最初のNの出会いがここに繋がるんですよ。あの聖夜に、つまらなそうに一人彷徨う柚は、いまたくさんの温もりに包まれて、たくさんのことを考える、思い出す、思い出すことができる。
特訓後も特訓後で、このイラストが本当に美しすぎるんですけど、“視線の先がない”んですよ。
これまでの喜多見柚のエピソードを並べて、顔に注目してみてほしいんですけど、その多くは“こちらを見ている”か“誰かを見ている”んですよ。そう、Nの特訓前を除いて!
ともに“視線の先が存在しない”N特訓前と[桃園花娘]特訓後、並べて際立つのはやはりその表情差だと思います。かたやつまらなそうに唇をとがらせているかと思えば、幸せに包まれているようなしみじみとした微笑み。あまりにも美しすぎると思います。
「退屈から笑顔へ」「冬から春へ」ともに“一人”が強調された二つのエピソードはこうして繋がり、対比され、長いようで短い喜多見柚のストーリーは、柚が(こう表現すると超かたくなるんですが)自尊心を手に入れて閉じられる。
はぁ……。
[ひらめき☆アンサー]はよくわかりません…。酢こんぶは拾われそうなネタだなぁと思ってたらシン劇で拾われててンッンッンッってなりました。たぶんもうメインストーリーは終わったので、あとは”終わらないアイドルの光景”を流し続けるだけのフェーズに入ったのかなって思ってます。そのなかで話題というかフックというか、代名詞的に活かせるワードとかがあれば”飽きられずに済む”から。
で、[シトロンデイズ]は結構メタ的な意味を含むオープニングエピソードなんだなぁって思ってます。声を得て、LIVEへ、デレステへ、新しいステージへ! そうやってまったく新しい世界へと進んでいくための儀式が、「Pによって示されて、Pとともに歩んだこれまで」を思い出として残すこと、だと思います。そうやって積み重ねてきたものを”確かなもの”にすることで、これから先、柚自身が選んで歩む道はより一層尊く見えるようになる。そう、ここからの柚はどちらかというと「Pから離れて」歩んでいく感じがするんですよね。ストーリー的にも柚はもう土台=自尊心(もっとやわらかい言い方がほしい)を手に入れたので、その次の「自分で歩く」ことができるようになってるんです。
はぁ……。
なんかいろいろ話が逸れた気がするんですけど、結論は「柚のストーリーは自分の道を自分で選択できるようになるまでのストーリーで、でもそこに”ボイス”っていうめちゃくちゃ大きな転機があって、(衝撃の真実! シンデレラガールズは企業が運営している営利目的コンテンツなので利益出すのが仕事です、そのためにはこのキャラクターをなんとかしてウケる・売れるキャラクターにする必要があるので、)そういう外からのアレと、続いてきた内側のストーリーとが合致して、結果僕が愛した喜多見柚の一側面は消えちゃった、かなしい」っていう感じです。
こうして書くと、本当にすべては必然だったような気がして、かなしいけどこれはこれで美しいなぁって思ったりもするんです。僕はゆずしゅう(唐突)が好きなんですけど、
周子がボイス総選挙で順位ひとつ違いでボイスチャンスを逃した(中間速報ではちゃんと1位だったのに逆転された)あと、その次の第四回総選挙で見事一位をかっさらってボイスを勝ち取ったっていう”歴史”が好きなんですよ。
一方柚も、第五回総選挙で順位ひとつ違いでボイスチャンスを逃した(中間速報では属性3位で圏内だったのに逆転された)あと、その次の第六回総選挙で見事属性2位をかっさらってボイスを勝ち取ったっていう”歴史”があって、
ワッこれは運命だ運命だってすごい感情が波打っちゃって、だってボイス総選挙より前からゆずしゅうの二人組んでくれたらなぁって思ってたから、わぁ^~ってなりました。
そういう、この現実世界からの干渉でコンテンツの歴史が少しズレて、それがある一点でぴたりと解釈の余地を描き出す瞬間を、僕はすでにゆずしゅうで経験しているはずなのに何なんでしょうね今回のこの喪失感は、、、、
やっぱり悲しいですよ。また頭がごちゃごちゃしてきた。
あのわかりやすくてかわいらしい”アイドルの喜多見柚”、これからの柚はもうずっとあぁなんでしょうか。無意味な仮定ですけど、もしも初めて触れた喜多見柚がいまの喜多見柚なら、僕は惹かれたでしょうか。いまの喜多見柚を見て、たとえば青春というものに絶望していた少年たちは救われるのだろうか。そんなことを考えると、変わってしまった喜多見柚に、”あぁ、結局あなたもそうなのか”……”あなたでさえ、そうなのか”などと心ない隔絶を抱いてしまいそうになる。
きっと外から見れば、僕の愛した喜多見柚の「人間っぽさ」とやらも、そこまで想像のなかで膨らませたのならそれは「人間っぽさ」じゃなくて最初から柚の「アイドル性」だったのだよ、みたいに見えるのでしょうか。
いやだなぁ、これしきのことで柚のことを嫌いになるのは。
まだまだ柚を見ていたいんです。僕もほかの大勢のひとと同じように、武田さんの演技のすべてを、広がり続ける柚の世界を、もっともっと祝福したかった。ステージで歌う武田さんの姿はまさしく柚のように感じたけど、どこかで”でも、あれはアイドルの柚であって、少女の柚じゃない”なんて、いやステージのうえで少女の柚出てきたらそっちの方がキレるわって感じなんですけど、そんな邪魔な雑念が感動にノイズを加える。でも、さようならのつもりで描いた誕生日絵も、描けば描くほど、やっぱり自分は柚が好きなんだなぁって実感する。
理解も共感もいらないです。これを読んで「自分はこう感じてる」みたいなのも聞きたくないです。僕は僕の思うままに喜多見柚を好きになり、そしていま、その気持ちは頼りなく揺れている、それを少しでも整理したかっただけの話です。
疲れ果てるのはいつになるでしょうか。