ちょくじょうのブログか?

ちょくじょうか?

「秘密のトワレ」ほんとすき

ふと気持ちが落ち着いたときにシャッフル再生で「秘密のトワレ」が流れてくると、その歌詞と音楽が描く世界の完成度に引き込まれてうわあ〜幸せってなります。

そんなわけで今回は「秘密のトワレ」をすごいと思う理由について、不勉強ここに極まれりの身ではありますが、ここに書き出していこうと思います。

 

言うまでもなくこのページで記したのは僕の不勉強極まりない不正確な自己解釈であり、これらを正解に近い解釈とさえ思っていません。文章のリズム的に言い切りの形になった個所にはすべて「~と僕は思っています」という語尾が付く、そんな感じのゆるふわなものだと思って読んでいただければ幸いです。

 

あと、このページの妄想を次の記事「「秘密のトワレ」デレステ実装やったー! - 「tyo」じゃなくて「cho」じゃないの?」で多少見やすいかたちで再編成してまとめてます。

 

 

「秘密のトワレ」は「CINDERELLA MASTER 38」ということで第八弾でリリースされました。

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試聴が公開されたころからキュートあふれさせつつも妖しくて危険なエロスの香る独特な世界を感じさせてくれて、個人的にはすごくお気に入りでした。しかしこれがフルになって曲の全体像が明かされると、まぁ~~~前評判どころではなく”とんでもない”。きっとこの歌は一ノ瀬志希にしか歌うことができないでしょう。しかしだからこそ、この歌をを一ノ瀬志希というアイドルが歌うということによって。Cメロのたった15秒で曲世界の全部がひっくり返されて、世界は余さず収束される感覚。歌詞カードと対応させて聞きながら(……ちょっと待ってもう一回)と巻き戻した初視聴時を今でも覚えています。

 

本当は歌詞を全部乗せて、ここがこうこうでこことつながっててこうなるのマジでヤバない?????ってやりたかったんですよ。でもさすがにそれはやりません。試聴動画を聴いてみて気になったならCDを買いましょうね。実際、試聴段階で『こういう楽曲もいいじゃん』って気に入るタイプのアンテナ持ってる人なら、買って後悔はしません。そういうタイプの作品です。まぁこの記事見てる段階でほとんどの人は買ってるでしょうけど。発売日去年の11月ですからね。

 

 

さて、本題です。「秘密のトワレ」がすごいと思う理由、好きな理由。

やっぱり一番は、曲世界の完成度の高さが好きですね。作詞作曲編曲を担ったササキトモコさんが、「秘密のトワレ」発売日に、ご自身のブログでこの楽曲の裏話などを記してくれています。

ごらトモ 一ノ瀬志希「秘密のトワレ」発売!

こういうの読んでると、やっぱりもの知らなきゃもの作るなんてできないなって思い知りますね。まぁ順番なんてどうにでもなるものですけども。「秘密のトワレ」の世界を構築するうえで、「香水——ある人殺しの物語」という小説が登場しています。こういう由来を知ると、「秘密のトワレ」の歌詞が、ある文法に従って描かれているような気がしてならなくなりました。ここから不勉強が発動しますが、「秘密のトワレ」は「歌でミステリ作品をやった」歌なんじゃないかって、僕は感じたんですね。ミステリとは、創作ジャンルにおいては「作品中で何らかの謎が提示されやがてそれが解かれてゆく、という類のもの」的な感じで定義されてるっぽいですね。(ありがとうウィキペディア!!!!リンク貼っておきます:ミステリ - Wikipedia

 

ミステリ作品を多く読むわけではないのですが、推理小説の王道パターンは、ざっくりと「全容」と「真相」に分けられるんじゃないかって僕は思っています。ただまぁ勝手に言ってるだけなので、もっとふさわしい呼び方・正しい呼称はきっとあるでしょう。

推理小説はたいてい、事件が起こった=「例:Aという人物が殺された」という結果から始まります。そこに探偵役の主人公が登場して、事件を解決=「例:Aを殺したのは誰なのか。どういった方法でAは殺されたのか。そしてなぜ、Aは殺されたのか」という要因を読者に示します。フーダニット・ハウダニットホワイダニットと言い換えられますね。ここまでが「全容」です。全容は、事件そのものを描く部分なわけです。

そして「真相」はというと、事件そのものの存在意義を揺るがしたり、読者の認識していた世界をひっくり返したりするエッセンスだと思っています。これを説明するのがだいぶ難しいのですが、たとえば犯人の動機が復讐であったならば復讐を捧げる対象が不適切であったり、あるいは復讐そのものが成立していなかったり更なる黒幕がいたりすることが判明するパートのことを「真相」なんじゃないかって考えています。単純に大どんでん返しって言えば済んだかな? 「全容」と「真相」は多くの場合(特にホワイダニット)密接に絡み合っており、明確に区分することの難しい性質ではあるものの、事件という出来事=「全容」を物語として面白くする決定的なエッセンスとして「真相」が存在している、と、そんな風に考えています。まぁ、このへんはとっくに研究されきってると思います。

さて、それた話を「秘密のトワレ」に戻すと、この歌の歌詞は、この「全容」と「真相」の区分がめちゃくちゃはっきりしていると思うわけです。動画で貼った試聴部分はこの歌の一番がまるっと入っています。この一番は、いわば「どんなことが起こったのか」=「事件の結果」が示されています。

「君をたぶらかす香りに投与して」

「気が遠くなるほど吸って」

そして「じきに君は falling loveの兆しみせる」

上質な語彙にめまぐるしく動く視点がところどころとらえた危ない気配は、起こってしまった事件の詳細を聞き手=我々に教えてくれています。

そして間奏部分、語り手とおぼしき存在=犯人が下す好戦的な指令を聴き、歌は二番へと続いていく。

二番で語られるのは、事件を起こした犯人の動機です。

「あたしは時間を無駄にはしない主義なの」

「両方の羽を奪い 鎖でつなぎたい」

「友達ごっこは今日でおしまいにしよう」

「ずるいって言われても いいの君が好きよ」

犯人はどうやら恋をしていたようです。しかしそれは決して健全な恋とはいいがたく、膨れ上がってゆく想いはやがて暴走し、暴力的な支配欲が芽生えてゆくさまが語られます。甘酸っぱくて長い時間をかけてふたりの気持ちを育む、そんな過程は無駄と切り捨ててしまうほどに少女は限界で、ついに結果だけを求めてしまった。そして少女は”そうすることができてしまう”存在=ギフテッドだったのだという、事件の背景が明らかになる。これが二番の歌詞です。

1番で結果が示され、2番で原因が示されました。事件の「全容」が明かされると、しかし聞き手はその余韻に浸ることなく、Cメロで「真相」を知ることになります。

「清浄なる世界で君とこうなりたかった

 あぁ もう戻れない ごめんね」

まさに大どんでん返し。暴走した恋心にまかせて、飛躍的手段を用いることで、少女は意中の相手を手に入れることができた。相手を手に入れられた。でも、すべてが終わった瞬間、少女の脳裏によぎったのは。声に出したか定かではないですが、意中の相手にかけた言葉は「ごめんね」というわけです。ギフテッド。少女はその才能で望んだ結果を手に入れることができます。しかしそこに、普通の人が長い時間をかけて育むような中身はありません。すべてが終わったあと少女が思い描いた「清浄なる世界」は、どんな世界のことだったのでしょう。

Cメロで「真相」が明かされると、歌は1番サビをワンコーラス歌ったあと、「My secret eau de toilette…」というフレーズを絶妙なカタルシスを残す伴奏とともに繰り返して、終了します。「恋は化学式 君には きっと狂気の沙汰(crazy things)」。自分の行いがルール違反のようなもの、正気の人間がとる行動ではないと、ほかの人の目、たとえ恋するあなたにさえもそういう風に見えるのだろうということを、少女はわかっている。この歌が描いた事件の全容・そして真相を知ったうえでようやく聞き手が理解できる、この事件に対する幅広い視点は、実は少女は1番サビの時点ですでにわかっていたというのがまた泣けますよね。歌世界の時系列というよりは、1番サビの時点では「なんか媚薬作った女が意中の相手にそれを吸わせてるらしいけど、この狂気の沙汰っていうのは単純に少女が天才すぎて誰にも理解されなくてヤバいってことなんだな」程度の理解しかできないんですよ聞き手は。でもラスサビの時点では、「少女は才能・手段・想い・葛藤、すべてが常人には理解できない領域=狂気の沙汰にあるんだ…」っていうところまで理解ができる。そういう”意味の反転”が「恋は化学式 君には きっと狂気の沙汰(crazy things)」っていうワンフレーズを含む1サビをラスサビに持ってくることでできあがるんですよね、何を言ってるかわかりませんか? 僕も感動してるだけなのでよくわかってません…。

 

まとめると、「歌でミステリをやった歌」なのがすごい、です。あと語彙のコントロールが本当にうまいですね。少女がどこまでも正直で平易な言葉遣いをしたのって「あぁ もう戻れない ごめんね」くらいじゃないでしょうか。「ずるいって言われても いいの君が好きよ」も平易ではあるものの、「真相」を知ったうえで見ると本音ではあるもののまるで自分に言い聞かせるかのような言葉じゃないかなって感じがします。そこ以外はとことん語彙の次元は高く設定されていて、すごいなぁって思います。

 

 

さて、これまでは歌詞についてほめちぎりましたけど、今度はミュージックとしてわーすげーって思ったことを記していきます。とはいっても音楽、完全に門外漢なので、楽器の名前とかテクニックとか和音とか全然知らないので、完全に印象です。

・「幕が上がる タラーンタラーン」でピロローピロロン♪ってなるのほんとそんな感じがする

・Cメロの「ごめんね」で流れるテーン・テーン・テーン。物語はここで終了って感じがしてすごい。

・これは藍原ことみさんの歌い方のぶれとして処理できるかもしれませんけど、ラスサビの「恋は化学式」だけ語尾が上がるため、歌詞に直すと「恋は化学式…? 君には きっと狂気の沙汰(crazy things)」みたいになってる。すると、Cメロで知った「真相」と合わせることで、また違った解釈ができるようになる。「意中の相手と結ばれることは、ほんの少しの化学式で飛躍的手段を用いることで達成できる。そう思っていた。でも本当はずっとわかっていた。ここに至るまでに歩んだのが清浄なる世界なら…でも もう戻れない。君の眼にはきっと、狂気の沙汰に映るだろう」みたいな。

・1番と2番をつなぐセリフ部分。ここは、事件の結果という客観的な事実を示す1番から、そこに至った原因を探る2番へとつながる部分であり、聞き手と語り手の距離としては近づく必要がある。語り手が「なぜ事件を起こしたか」を告白する、その内容を理解するための歩み寄りとして、”ミュージックに彩られた歌声”ではなく”生きた音声”を挿入することが、聞き手と語り手の距離を縮める機能を果たすのです。このことによって、語り手=少女=ギフテッドというキャラクターを、聞き手はよりスムーズに理解できるようになる、そんな役割を果たしていると思う。

・専門用語を知らないので何とも言えないけど、2サビから増える聖なる音みたいなインストがすごい好き。

 

8/8追記

CDについてくる歌詞カードを見ていて気になった部分です。

1サビとラスサビの歌詞は共通しているというのは前述のとおりですが、一か所だけ違う部分があるのですね。

1番サビ「恋は化学式 君には きっと狂気の沙汰(crazy things)」

ラスサビ「恋は化学式 君には きっと狂気の沙汰(crazy things)」

ものすごく細かいんですけど、スペースが全角から半角に代わってるんです。共通の歌詞ならコピー&ペーストすれば済む話です。であればこういった差異は発生しないはずだと思うのですが、これは何か意図があるものとして考えていいものなのでしょうか? 個人的には、1サビとラスサビが指定する「君」が違うのではないかなって思ったりしてます。片方は「ギフテッドが恋した男」で、もう一方は「『秘密のトワレ』を聴いているわれわれ」ではないかな、と。全容パートにあたる1サビは全角スペースで「君には きっと狂気の沙汰」。ここにおける「君」のほうが、「われわれ」ではないかと思います。

理由は、「きっと狂気の沙汰」がさす内容にあります。1サビにおいてこれはきっと「恋をしたギフテッドが、恋した相手に惚れ薬を投与する」という「事実」を指しているのではないでしょうか。『秘密のトワレ』の一番は事件の全容のうち、起こってしまった事実・様子を詳細に描写して作品外の聞き手に語り掛けるパートです。すなわち語り手の語りのベクトルが、作品世界の外に向いているということです。『秘密のトワレ』を聴くわれわれに、「(あたしにとって)恋は化学式(のように、組み替えることで再現可能な現象に過ぎないの。まぁ、まだ何も知らない)君に(とって)は きっと狂気の沙汰(に見えるかもね)」と語り掛けてくる。これが、一番における「狂気の沙汰」です。

しかし曲が進むにつれ、ギフテッドの過去、同時に動機が明かされ、1番で語られたのはギフテッドの暴走が結果した”事件”であることが判明し、Cメロで真相に到達します。さて、ここにおいて、1サビとラスサビの”語り掛ける対象が違う”=”語っている内容が違う”ということを念頭に置くと、Cメロの見え方も少し変わってくるのではないかと思います。すなわちCメロは、「事件の真相が明らかになる=聴き手に世界を明らかにする=オープンのパート」であると同時に、「聴き手を世界から閉め出す=クローズのパート」でもあるのではないか、と思うわけです。Cメロの歌詞「清浄なる世界で君とこうなりたかった」という一文からは、具体的な状況・事件の顛末が伝わってきません。「ああ もう戻れない ごめんね」が語り掛ける対象はほぼ間違いなく作中世界の青年です。Cメロ部分においては読者は完全に世界の外におり、絞り出された語り手の心情のみを受け取って、1番ではあれほど詳細に語られた情景は「こうなりたかった」から想像するしかなくなってしまいました。

そして到達したラスサビにおいても、聴き手であるわれわれの居場所は変わりません。すべてを語り終えた語り手は、うわごとのように「何が起こったのか」の1サビを歌い上げます。しかし最後だけは、語る対象が違います。「(あたしにとって)恋は化学式(のように、組み替えることで再現可能な現象…だと思っていた。けれどすべてが終わったいま、心に残るのは、”もう戻れない”、戻ることのできない”清浄なる世界”へのあこがれと、君への”ごめんね”という気持ち。矛盾してるでしょ? あたしのやったこと、そしてその結果にあたしの思ったことは……)君には きっと狂気の沙汰(に見えるだろうね)」

1サビにおいては、「君には」といったあと一瞬だけ聴き手のほうを向いて、また視線を外し「きっと狂気の沙汰(crazy things)」と言っている、その振り向く一瞬を”全角スペース”であらわしていて、ラスサビにおいてはギフテッドとのコトをし終えて眠る男を抱きしめ、泣きそうな顔をしながら「君には」一息「きっと狂気の沙汰(crazy things)」とつぶやく…そんな情景が見えてきます。

 

まぁ、さすがにこじつけが過ぎるかとも思いますが、なんかそんな気がしてきたので追記しました。実際、校閲の段階でこういうスペースの半角・全角ってスルー可能なものなのでしょうかね? あと、この歌詞カードについては発売日第一号の歌詞カードに従って記しています。修正とかあるのかな。気になる。 追記ここまで!!

 

 

 

 

こんなところだと思います。

「秘密のトワレ」。この曲を僕は一生忘れることがないと思います。一ノ瀬志希というキャラクターが歌うことで、ギフテッドの孤独さがものすごく強調されてわーすげーあぁぁってなりました。もしもアイドルがこの楽曲をCDデビューとして歌うって世界だと、一ノ瀬志希は歌詞見た瞬間に「歌いたくなーい」ってぐにゃ~んと倒れちゃったりしそうだなって思います。だってめちゃくちゃ悲しい歌なんですものね。

 

このブログも3記事目になりました。今のところ全部アイドルマスターシンデレラガールズに関する話ですね。オタクなのかな? 次はどんな記事を書くでしょうね。わかりません。それではまた会う日まで。震えて眠れ。